沙巴体育投注_沙巴体育官网-在线app下载の13人 第四回 髙木先生と増野先生

みなさんこんにちは。

まりもまりりんです。
今回は、髙木先生と増野先生のお二人をご紹介いたします。

髙木先生は、日本近世文学がご専門です。19世紀における日本の絵入り小説が、どのようにして書かれ、どのように読まれてきたのか、という問題を研究していらっしゃいます。

また、板本から活字本へ、和装本から洋装本へと変化していく19世紀における小説史を、テキストのみならず書物史とその受容史として展望したいと考えていらっしゃるようで、一昨年は、大妻女子大学が所蔵する版木で、実際に刷ってみよう、と草稿テキスト研究所主催のワークショップなどにも尽力されていらっしゃいます。

さて、先生が共同研にお見えになりました。お話を伺っていきましょう。

―髙木先生は、大学時代の卒業論文に、何をテーマとして選ばれたのですか?

卒論は「松浦佐用媛の文学誌」でした。風土記から万葉集にみられる望夫石伝承は、神功皇后など水神伝承の背景を持つことから、中世の伝承や草紙、説経節などでは人身御供譚の主人公の名になり、それらの佐用媛伝承は近世小説にも多く用いられ、とりわけ馬琴は『松浦佐用媛石魂録』と云う興味深い江戸読本を書きました。さらに近代に到っても岩野泡鳴の戯曲にまで登場するのですが、それらを時系列で追ったものです。当時の卒論は、まだ手書きでしたが、原稿用紙300枚を越してしまったので、これを仕上げるために1年間留年しました。

―千葉大からいらっしゃり、今年度で大妻とお別れとなってしまいますね。大学時代取り組んだ卒論から現在の研究内容は、年月とともに変化があったことと思いますが、この先、生涯続けていきたい研究はどのようなことが挙げられるのでしょうか?

卒論で出合った馬琴読本に惹かれて江戸読本へと研究テーマが絞られ、修士論文も博士論文も「江戸読本」がテーマでした。今後の研究課題(ライフワーク)は、読本は未だに基礎研究が整備されていないので『読本出板年表』(の基礎)を作ることです。

―先生は、どうやって中学や高校の先生ではなく、大学の先生を目指されたのですか?
大学を卒業する時には大学院に進学したかったのですが、学生結婚して子どもが生まれることに成ったので、成り行き上、とりあえず私立中高の教員として勤めました。が6年経って、子どもが小学生に成るときに、当時30歳になったこともあり、職を辞して大学院に戻りました。教育職より研究職に就きたいと思ってのことでした。しかし、世の中そんなに旨くは行きませんから、まぁ、大学院修了後は予備校で教えながら研究を続けられれば良いと思っていました。

当時、大学院修士課程修了後、一旦仕事に就いてから博士課程に進学するのは普通のことでした。さらに、博士課程修了後も高校の教員を続けつつ、研究を継続し、それが認められて大学へ就職すると云うことも、僕より上の世代では決して珍しくありませんでした。それだけ、大学院を出て直ぐに大学に就職することは困難な時代だったのです。尤も、現在もですが……。

しかし、僕は家庭の事情で修士課程すら出ていなかったもので、取り敢えず、退職して進学することにしたのです。ところが、幸いなことに博士課程修了の歳に、愛知県立大学からお誘いがあったので喜んで名古屋に赴任し10年勤めました。その後、千葉大学に移り15年勤めて、定年の5年前に、急逝した敬愛すべき先輩であった石川了さんの後任として大妻に奉職し、これで8年勤めたことに成ります。

思えば、奇しきことに愛知県立大学は石川さんの出身校であり、就職を斡旋して下さったのは石川さんの恩師でした。これも大妻へ繋がる伏線だったのかも知れません。

―髙木先生は、いらした時からずっと、在職中に亡くなられた石川先生のことを思ってくださるお言葉を、研究室での話の端々に表してくださる様子を水の中で伺っておりました。
古くから研究室におります、わたくしのようなまりもの心も温まりました。(まりりんは研究室に生息して約20年になります)

―最近読んで面白かったおすすめの本はありますか?

―えっ!略ですか?
いや~、学生と趣味合わないだろうからさ~。
―そうですか。では、無理には申しません…。

―日々研究室で「今日の夕飯どうしよう」とメニュー決めに悩む先生をお見かけしますが、休日はどのように過ごされていらっしゃいますか?やはりお料理でしょうか?
ははは、共働きの生活を続けてきて「早く帰った方が夕食当番」と云う暗黙の約束が出来ていたので、大妻に来てからと云うもの、毎日僕の方が帰りが早いもので献立に悩む日々でした。作ること自体は苦に成らないのですが、冷蔵庫の中身とスーパーの安売りを勘案しつつ献立を考えるのは結構な難行苦行なのですよ。

休みの日は、基本的には資料整理などをしつつ依頼原稿を書くという感じですかね。特に長期休暇でないと集中した思考ができないので、論文を書くには日々の細切れの休日では無理なのです。大学教員にとって「休日」は「研究日」に等しく、昨今の大学では仕事が増えて「休日」が減らされつつあり、教員の研究時間が減っていくのが心配です。

―そうですよね。
この質問を先生方みなさんにおこなっておりますが、あんまりお休みらしいお休みになられていらっしゃらないことが判明していくだけの結果となっていることに、この質問を続けて良いものかだんだんと不安を覚えております。

髙木先生、ありがとうございました。
合理的な仕事のためなら意見のぶつかり合いも厭わない。熱き魂を持つ髙木元先生でした。

わたくしまりりんと一緒にお写真をお願いします、と研究室まで追いかけましたところ…
断られて個人研究室にお戻りになられてしまいました。残念。

さて、次は増野先生です。
増野先生は、中国古典詩をご専門にされ、よく高校の国語にて「漢文」と呼ばれる中国文学を教えてくださっています。
中国最古の詩集『詩経』を中心に研究をされ、詩の表現と当時の習俗の関係について考えてゆくことをテーマとしていらっしゃいます。古代において重要な意味を持っていたと思われる鳥や、香草を始めとする植物、また、中国の都市には必ず設けられていた城壁と城門といったものの持つ意味について、『詩経』の詩を中心に漢代、六朝の詩あたりまでの詩を取り上げ、時代ごとの特徴や、影響、認識の変化について分析を試みていらっしゃるとのことです
さっそく、お話を伺ってまいりました。

―増野先生は、大学時代の卒業論文のテーマについては何でしたか?
その卒業論文のテーマから、研究の内容はどのように変化されたのでしょうか?また、現在はどのようなことに興味を持たれていらっしゃるのですか?

卒業論文のテーマは〔『詩経』における植物の表現について〕というものでした。
『詩経』の詩篇に見られる植物の「興」的表現(隠喩表現)について、他文献に見られる用例を出来るだけ広範囲に検討しながら、詩自体の表現のあり方と考え合わせる形で、表現の意味を考察しました。
当時は宗教学や民俗学的な立場から詩の表現の持つ宗教性、象徴性について考察する文献が結構多く出されていたたため、それらの成果も利用しました。
当然、漢代から現代に至る膨大な注釈も出来る限り参照したのですが、これが本当に時間のかかる作業で大変でした。
その後もこうした方法に基き『詩経』について考察を進めましたが、学生時代から「杜甫の会」という杜甫の詩を読む会、陶淵明に関する論文等を読む会などに参加していたため、陶淵明や杜甫についての研究も行う様になりました。
最近は、特に陶淵明についての研究が多くなりましたが、研究方法については以前の遣り方をベースとしています。再び『詩経』にも戻らねばとは思っているところです。

―漢代から現代までとは…中国4千年?の歴史をたどっていくのはさぞかし時間と労力が必要だったことでしょう。
そして、いま再びの『詩経』なのですね。

―先生はなぜ研究者の道を志されたのですか?
「研究者を志す」といった大上段に振りかぶった大志などありません。
小学校時代から何故か漢字を覚えるのは得意でした。
高校時代、漢文教育に熱心な先生がいて、『論語』を朱子の注を用いて返り点のみのテキストで演習的に読んだり、『詩経』も吉川幸次郎という人の結構斬新な訳注で読んだりと、様々に漢文に興味が持てるような教育をしていたため、大学もそうした方向に進んだ次第です。
高校での国語教育も今の様な1人の教員が広範囲に国語全体を教えるというのではなく、当時は教員が現代文、古文、漢文と専門ごとに分かれていたため、それぞれに特徴のある、また深みのある授業が行われ、その点は今より啓蒙という面で優れた授業体制だったと思います。
あとは母方の先祖が熊本で漢学塾を開いていた家系だったということも影響していると思います。

―小さな頃から漢字と仲良しだったのですか。大きな増野先生の、小さい頃の想像がつきません!また、先生のルーツに漢学が関わっていたとは、ご縁ですね。

―最近読んで面白かったおすすめの本をぜひ教えてください。
中公新書の『古代中国の24時間』という本は大変興味深いものでした。
主に漢代の各階層の人々の生活を明け方から夜まで述べたものですが、食事、住居から宗教、朝廷等幅広く扱い、生活の1コマごとに必ず注で裏付けとなる史書、簡牘などが示されており、そのコマを連続的に動かして人々の生活状況を動画的に感じさせるという独特の描き方がなされています。
付せられた注も新書本にも拘らず膨大なものです。

―漢文に苦手意識がある方でも、古代中国の生活となると、身近に感じられておもしろそうです。

―今年度から文沙巴体育投注_沙巴体育官网-在线app下载長となられ、お忙しいことと思いますが、休日として時間が取れた場合はどのように過ごされていらっしゃいますか?
特に決まった過ごし方はありませんが、音楽をSACD(スーパーオーディオCD)で聴いたりなどしています。
使われている録音方式は、再生音域を狭く限ったCDとは違い、倍音も含めてほぼ完全に原音を収録できるので音が素晴らしく、これを5.1チャンネルで聴いています。
以前はLPレコードの前身のSPレコードも聴いていたのですが、蓄音機のゼンマイを巻くハンドルが何処かへ行ってしまい、ここ長いこと聴けていないのが残念です。
あとは読書やネットでの映画鑑賞、散歩といったところです。

―?!ゼンマイがどこかに行ってしまったのですか。しかし何より蓄音機が家にあること自体がすごいですね。
まりもにはちんぷんかんぷんな言葉がいっぱい出て参りましたが、スーパーオーディオCDというものが世の中にはあるのですね。
5.1チャンネルというのは、「音声の出力システムの構成の一つで、聴いている人を取り巻くように前後左右にそれぞれ異なる音声を発する6つのスピーカーを配置したもの。」だそうです。
臨場感あふれる音が聞けそうな装置です。

増野先生、ありがとうございました。

 

独自のルートで世の中の真実に迫りゆく、情報通な文沙巴体育投注_沙巴体育官网-在线app下载長。増野弘幸先生でした。

まりりんに向かって、解説してくださる増野先生。学生思いのお優しい思いやりがまりもにも注がれました。ありがとうございます。